ФСБ (エフ・エス・ベー) FSB

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ФСБ (エフ・エス・ベー)

ФСБ (エフ・エス・ベー、現地ではこう呼びます)は、音楽高校時代、同級生であったコンスタンティン・ツェコフ(Vo, Kb)とアレクサンダル・バハロフ(Ba, Vo)から始まり、ソフィア音楽大学でルーメン・ボヤジエフ(Vo, Kb)が合流する形で始まります。その後、1975年ブルガリア・ソフィアにて、この三人、ルーメン・ボヤジエフ(Vo, Kb)、コンスタンティン・ツェコフ(Vo, Kb)、アレクサンダル・バハロフ(Ba, Vo)によって、スタジオ・ミュージシャン集団として結成され、当初は国営レーベル Balkanton 内スタジオにて、歌手のバック演奏やカバー曲などのレコーディングを手掛けています。当初、ФСБあるいは FSB はそれぞれ、Формация Сутудио Балкантонあるいは Formation Studio Balkanton の略でしたが、1999年頃、活動を再開してからはバンド名をФСБ (FSB) として統一することとしています(彼らは Formation Studio Balkanton と呼ばれるのを好んでいなかったようです)。また、1987年オーストリアでレコードがリリースされた際には、バンド名を Free Sailing Band としています。ちなみに、こちらが Balkanton 本社です。

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結成初期は、ゲストミュージシャンが参加して、PFM、Roger Glover (Deep Purple, Rainbow)、Gino Vannelli のカバーをレコーディングし、シングルとして発表されています。また、ファーストアルバムには Gentle Giant のカバー曲も収録。セカンドアルバム「FSB II」には、イタリアのプログレ・バンド LE ORME の「Amico di ieri」のカバーが収録されていて、ФСБの代表曲として、ブルガリアでは知らない人がいない位、現地ではヒットしています。この2作では、キーボード中心のシンフォニック・プログレ路線のサウンドを堪能できます。1979年には、ペータル・スラヴォフ(Dr)とイヴァン・レチェフ(Gt, Vn)が参加し、バンドとしての編成が固まります。

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FSB - Non Stop

Non Stop (1977)

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FSB II (1979)

FSB II (1979)

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1980年には、この5人編成で 3rd アルバム「Кълбото (The Globe)」がリリースされます。バンドは音質を向上させるため、33回転ではなく、45回転でレコードに収録したため、収録曲数は5曲です。この形態のレコードは続く6作目まで続きます。

この時期になると、Ambrosia がそうだったように、ФСБもプログレ色が薄くなり、ウェストコースト、AOR系のサウンドへと移行します。当時、ブルガリアは社会主義体制であり、資本主義国からのレコードの輸入などは制限されていたのですが、ФСБへ対しては政府からの支援もあり、レコードだけではなく、楽器の購入なども政府から優遇されていたそうです。このような理由もあり、東欧のロック辺境地だと思われているブルガリアで、1979年~1980年にアメリカのような垢抜けたサウンドが実現します。

続いて、1981年にはAOR色の強い 4th アルバム「78 оборота (78 r.p.m.)」がリリースされます。このアルバムには「Случва се」という、あの David Foster と Jay Graydon の AIRPLAY 風のバラードが収録されているのですが、以前、AIRPLAY に影響されたことをルーメン・ボヤジエフに直接聞いたことがあります。

5th アルバム「След десет години (Ten Years After」は1983年にリリースされます。こちらはギターがより前面に出されていて、メロディアス・プログレ・ハード風のサウンドになっていますが、2nd アルバムに収録されていた、アルバムタイトルでもある LE ORME のカバー曲「След десет години」がレコーディングを仕直して、再収録されています。しかし、残念ながら、ФСБの黄金期である、このベストメンバーでの編成はアレクサンダル・バハロフの脱退で終わりを告げます。その後、彼はドイツへ移民します。

FSB - The Globe

FSB – The Globe (1980)

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FSB - 78 r.p.m.

FSB – 78 r.p.m. (1981)

FSB - Te Years After (1983)

FSB – Te Years After (1983)

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同年、バンドはイヴァイロ・クライチョフスキーをバハロフの位置に迎えます。実はこの人選には政治的な圧力があり、2004年にデビューするメロディアスハード系ユニット ClearLand のプロモーション・ライブでベースを弾いている Mityo Dimitrov がベース担当となることがそれ以前に決まっていたそうです。こちらのプロモーション・ライブの模様を撮影したビデオで Mityo を見ることができます。病気で太ってしまっていますが、ベースの腕は本物です。

さて、イヴァイロ・クライチョフスキーを迎えたバンドは、1984年にアルバム「FSB VI」をリリースします。アルバムは前作から引き継いだAOR/ウェストコースト風のНе такаやЗавръщане等の他、Зимна къщаのようなじっくりと聞かせるプログレ曲を含む6曲を収録。特にЗимна къщаの歌詞は素晴らしいのですが、ブルガリア語が分かる方は多いとは思えないので非常に残念です(機会があれば、歌詞の翻訳もいつか投稿したいと思います)。また、同時期だと思われますが、「FSB VI」と同じカバーデザインで、ロシア向けのベスト・アルバム(通常の33回転レコード)と英詩でレコーディングし直した国外向けベスト・アルバム(同じく、33回転レコード)がリリースされています。

同年、バンドは首都ソフィアのアカデミック・スタジアムにて、初めてスタジアム級のコンサートを開催。15000人を動員し、大成功を収めます。このコンサートの模様はビデオ収録され、国営テレビにて放映されます。1985年には、ソールドアウトになった同年5月18日,19日に首都ソフィア・ユニヴァーシアード・ホールにて行われたコンサートを収録した初ライブ・アルバム「ФСБ на концерт(FSB In Concert)」がリリースされます。

1987年には多分、当時のブルガリアでは初となるフル・デジタル・レコーディングされたアルバム「Обичам те дотук(I Love You Up To Here)」が通常の33回転盤レコードでリリースされます。同時期に、「Обичам те дотук」アルバムの英語バージョンに同じく英詩の1曲 Composer を追加したアルバム「Kissing You Good Night」を、オーストリアとドイツにて Bellaphon レーベルから Free Sailing Band 名義でリリース。どちらもプログレ・フレーバーのあるAOR/メロディック・ロック系のサウンドとなっています。ちなみに Composer はブルガリアのプログレバンド Diana Express の元ボーカルであり、国民的ポップ・シンガー Vasil Naidenov が1981年にリリースしたアルバム「Адаптация 」中の一曲「Пясъчен Часовник」が原曲で、ルーメン・ボヤジエフが作曲を、演奏はFSBが担当しています。

また、同年、バンドはオーストリアの Viennese studio にて、Jose Feliciano と出会うことになります。その結果、バンドは彼の要請でレコーディングに参加するべく、アメリカへ招待され、レコーディング・セッションへ参加するのみならず、ルーメン・ボヤジエフとコンスタンティン・ツェコフは Jose Feliciano のアルバム「I’m Never Gonna Change」のアレンジとプロデュースを任されます。アルバムは1989年にリリースされると、シングル「Ciellito Lindo」が世界的にヒット、1990年にラテン部門で米グラミー賞を獲得することとなります。

FSB - VI (1984)

FSB – VI (1984)

FSB - In Concert (1985)

FSB – In Concert (1985)

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FSB - I Love You Up To Here (1987)

FSB – I Love You Up To Here (1987)

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FSB - Kissing You Good Night

FSB – Kissing You Good Night (1987)

1988年には、バンドは「Протегнах две ръце」をレコーディングしたものの、メディアでのリリースは1990年発売の CD「FSB」まで待つことになります。1989年にはマキシシングル「Няма как/Високо(Nothing Left To Do/Be Above It)」をリリース。また、民主化運動への応援歌「Времето е наше」をブルガリアの有名歌手らと共にレコーディング(この曲は2003年にリリースされるアルバム「Single Collection」に収録)。1990年に初 CD コンピレーション「ФСБ(FSB)」がリリース。この後、バンドとしての目立った活動は少なくなり、1990年に「Медалист」、1991年に「Острие」、1992年に「Опит за летене」、1993年に「Последният човек」、「Иде вятър」、「Вълче време」をレコーディング、ラジオやテレビで発表されます。しかし、いずれもメディアでのリリースは Anthology までお預けとなります。もちろん、この時期はブルガリアの社会主義崩壊前後であり、バンド活動どころではなかったのかも知れません。1994年以降は、バンドは、その活動をほとんど止めてしまいます。

FSB - Nothing Left To Do/Be Above It

FSB – Nothing Left To Do/Be Above It (1989)

FSB (Formation Stduio Balkanton)

FSB – FSB (1990)

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1999年に入ると、バンドは社会主義時代の音源を保持していた Balkanton より権利を買い取り、UBP Internationalと契約。1999年末、突如として「Антология(Anthology) Vol.1,2,3」としてCD3枚をリリースします。2000年にはバラード集「Балади(Ballads)」をリリース。ブルガリアの主要都市にてコンサートを開催、この様子はビデオ撮影され、ドキュメンタリータッチのライブ映像に編集されますが、現在まで一般に公開されていません。また、2003年には初期シングルおよび未リリース作品を含めたアルバム「Single Collection」がリリースされます。その後、バンドは2006年まで沈黙します。

FSB – Anthlogy Vol.1, 2, 3 (1999)

FSB - Ballads (2000)

FSB – Ballads (2000)

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FSB - Single Collection (2003)

FSB – Single Collection (2003)

こちらは2000年のライブの模様です。

2006年、ブルガリアでは恒例になっている首都ソフィア・バーテンベルグ広場でのカウントダウン・コンサートにФСБの出演が発表されます。カウントダウン後、ブルガリアのEU加盟を記念して、年を超えた2007年1月元旦0時過ぎ、トリとして出演、この模様は国営テレビでライブ中継されました。ドラマーのペータル・スラヴォフは、高齢と言うこともあり、バンドからコンサートへの要請がされず、代わりにルーメンとコンスタンティンの息子二人のツイン・ドラムほか、サポート・メンバーとして若いミュージシャン、キーボーディスト2人、ギターリスト1人、パーカッション1人が参加する形となります。このコンサート後、イヴァイロ・クライチョフスキー(Ba)はバンドを解雇されます。理由は多分飲酒です。この後、バンドはまた沈黙します。2008年4月にはドラマーのペータル・スラヴォフが死去し、ФСБの正式メンバーは3人となります。こちらは、2007年のライブの模様です。さすがに寒そうですね。

2009年に入ると、バンドは新作のレコーディングを決定、2010年にアルバム「ФСБ.(FSB.)」をリリース。2010年12月には、ソフィア、プロヴディフ、ヴァルナにてコンサートを開催、ソフィアでの模様が2011年、DVDとしてリリースされます。こちらがそのライブの模様です。


FSB - FSB. (2010)

FSB – FSB. (2010)

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FSB - Live DVD

FSB – Live DVD (2011)

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2011年には、プロヴディフのアンティーク・シアターにてプロヴディフ・オペラ・オーケストラと共演、ビデオ撮影も行われて、当初はDVDリリースを公表していたが、未だリリースされていません。また、2012年にも、ソフィアにてプロヴディフ・オペラ・オーケストラと共にコンサートを開催しています。こちらは2011年のライブの模様です。

現時点ではバンドとしてのФСБはまた沈黙状態ですが、それぞれ個人で活動していて、ルーメン・ボヤジエフはスタジオを運営しているのでプロデュース業など、コンスタンティン・ツェコフは比較的コンスタントにソロ・アルバムを発表、イヴァン・レチェフはスタジオ・ミュージシャンやサポート・メンバーとして忙しくしていると思われます。

また、ФСБ名義でカバーアルバムを数枚リリースしていますが、そちらはいつかご紹介させていただこうと思っております。

さて、当店では、ФСБの楽曲を流したり、時にはビデオも流しておりますので、ご興味ある方は是非ご来店くださいませ!また、リクエストにも出来る限りお応えいたしますので、お気軽にお声掛けください!

あなたもオルフィック・バーで、ブルガリアのロックを聴きながら、ブルガリア料理とブルガリアのワインやラキヤ(伝統的な蒸留酒)をお楽しみになってはいかがでしょうか?

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